守屋輝彦の53年③神奈川県議会議員~小田原市長選出馬表明

2020/02/01

カテゴリー:守屋輝彦ってどんな人?

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これまで、2回に渡って守屋輝彦(もりやてるひこ)がどんな人間なのか、その半生についてお話してきました。

最終回は、神奈川県議会議員を2期8年務めた後、私が小田原市長に挑戦することを決めたのはなぜか。

その想いをお話したいと思います。

なぜ県議会議員に?根底にあった変わらぬ信念

小田原市内風景
情熱を持って取り組んでいた県職員の仕事ですが、2010年に退職し神奈川県議会議員に立候補することに決めました。

結果、多くの支持者に助けられトップ当選を果たすことができました。

当時は、「なぜ議員を目指すのか?」と聞かれたことを覚えています。

私の祖父、父が小田原市議会議員でしたので、幼少期から政治が身近にあったことはたしかです。

ただ、もっとも強い動機は、神奈川県職員として18年間勤めていたからこそ、県の課題を解決したいという思いがより強くなったからです。

県議会議員に当選してからは、教育、医療、産業振興など様々な課題に取り組みました。

特に印象に残っているのは、農政改革です。

忘れもしない、東日本大震災後の混乱が続く2011年5月、一番茶の季節でした。

福島第一原発事故による放射性物質の飛散が原因で、神奈川県産の足柄茶が出荷できない事態に陥りました。

出荷できない商品を、刈り取ってすべて処分する決断には心が痛みました。

しかし、その後も、神奈川県の農作物の風評被害は残り続けました。

ただ、足柄茶を復活させようにも、基準値を上回るセシウムが検出されるメカニズムがわからなければ対策は打てません。

ここでも、私が解決に向け動いた最初の一歩は、“探究”です。

調べると、緑茶は飲用として希釈されたときのセシウム含有量ではなく、茶葉の状態の値で流通の可否が判断されてしまうことがわかりました。

圃場の管理も試行錯誤し、検査ルールも見直して、セシウムの基準値を下回る措置を施し、2012年は基準値をクリアできました。

…が、一難去ってまた一難。

今度は茶葉にクワシロカイガラムシという茶葉を食べる害虫が出てきてしまったのです。

調べてみたところ、これを撲滅するためには、プルートMCという農薬を散布するのが効果的だとわかりました。

ところが、2012年時点では、神奈川県はこの農薬の使用を認めていなかったのです。

ただ、やみくもに県が禁止令を敷いていたわけではありません。

規制の理由は、農薬散布により、蚕に悪影響を及ぼすからとのことでした。しかし、このまま被害が拡大すれば、足柄茶はさらに壊滅的な被害になります。

私は諦めず、神奈川県内にプルートMCを散布した場合でも、蚕に影響のない範囲を調べてみることにしました。

結果、周辺の東京と山梨も含めて、この薬を散布しても悪影響がないことがわかりました。

こうして、事実に基づいた探求により、足柄茶を守り抜いたのです。

他にも、鳥獣被害対策としてニホンザルの被害を防ぐべく、住民に危害が及んでいるエリアで駆除も実行しました。

大学時代から培った探究心は、ここでも確実に結果を残してくれました。

小田原はまだまだ成長する。その根拠を話したい

そんな現状分析を踏まえ、私はいま、小田原を復活させたいと考えています。

少子高齢化はもちろん、2017年の関東学院のキャンパス撤退など、若者や生産年齢人口の流出が止まらない小田原に、再び活気を取り戻したいのです。

秘策はあります。

その一つが、民間との連携を強化すること。

ただ民間企業に補助金などの優遇をすればよいわけではありません。

そのためには民間企業の取り組みに協力的な首長がいることは必須となります。

たとえば、宮崎県日南市の崎田市長は、公民連携の街づくりを掲げ、20社以上の企業を誘致することに成功しました。

新潟県紫波(しわ)町は、駅前になる何十ヘクタールもの塩漬けになっていた市有地を30代の地元出身の若手経営者とともに、住宅地にしたり、サッカーやバレーの専用コートを整備するなどして、活気を取り戻すことに成功しています。

いずれにせよ、民間のプレーヤーとタッグを組み、行政がブレーキを踏まずに、応援する。

そんな小田原をつくるべく、ベンチャーをはじめとしたチャレンジ精神の溢れる民間企業の誘致を進めて参ります。

関東学院大学のキャンパスや駅前の空きビルを活用し、企業のサテライトオフィスを整備します。

箱根町との連携の強化も必須課題でしょう。

年間2000万人の観光客が訪れる箱根町ですが、観光ルートの導線として、小田原はまだまだ選ばれていません。小田原は有名なレストランも多く、世界トップレベルのシェフがお店を構えています。地元に根付く食文化の発信も大切です。

また観光だけではなく、東南アジアからの労働者を受け入れることで、市内の雇用の確保にも積極的に乗り出します。

外国人が安心して住める市内の不動産の紹介や住環境の整備は、市が積極的に取り組んでいくべき分野です。

生涯をかけて、小田原の魅力を引き出します


ここまで、事実を丁寧に分析し、改革を実行してきた私の半生をお伝えしてきました。

東日本大震災後の足柄茶の風評被害対策も、県の施設の修繕も、大学院で学んだ都市計画も、私のこれまでの人生の53年間は、まさに小田原のためにすべて行ってきたのだなと思っております。

現状を正しく分析し、民間と連携し、小田原を元気にする。

その根拠を、守屋輝彦は身を持って示してきました。

私が53年間生まれ育った小田原という街のポテンシャルはまだまだ大きい。

だからこそ、いまあなたの応援とともに、小田原が輝いていく景色を、これからもあなたと一緒に見ていきたいのです。

守屋輝彦は、生涯をかけて小田原の魅力を引き出します。

そして何より、小田原に住むあなたの幸せを守ります。

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