守屋輝彦の53年②神奈川県職員~大学院進学編

2020/02/02

カテゴリー:守屋輝彦ってどんな人?

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ミニ集会守屋輝彦

守屋は県職員として何をしてきたのか?

なぜ県議会議員になったのか?

政治家を志した原点をお話していきます。

18年の県職員生活で身につけた。課題解決3つのステップ

父親
(26歳で結婚。当時の長女、二女とともに。)

1年の浪人と、2年の留年を経て、大学を卒業。

私は神奈川県の建築職として奉職することになりました。

県職員は約50の職種があり、私が入った建築職には5人の同期がいました。

同期だけでも800人超の大組織です。

最初に従事したのは、希望が叶って都市政策課でした。ここでは都市計画基礎調査を担当し、データを分析することの重要性を学びました。

その後、県の建物管理、施設マネジメントを担当。

県の施設の修繕や雨漏れ対策、エレベーター電機などの点検をする部署です。

今思えば、当時の神奈川県の建物管理はとても杜撰(ずさん)なものでした。

神奈川県の建物が100棟あったら、管理は100種類バラバラ。県税事務所の修繕ルールはこう、県立病院はこう、といったように、限られた予算とスケジュールの中で、県全体を俯瞰して、どの建物を優先的に修繕すべきかについて共通のルールが存在しなかったのです。

県職員として働いた私の成果として挙げられるものの一つに、このバラバラのルールの改革があります。

今では各自治体で当たり前になった「施設マネジメント」と言われる施策を、神奈川県は全国で先駆けて平成14年に実行しました。

守屋輝彦集会風景
(自分が徹底的に調べたことを有権者に話す。守屋の信念です)

「県有施設長寿命化指針」を作成し、何を優先して修繕すべきか大網を整備したのです。

たとえば、雨漏りは100万円程度で直せても、さらに5年間放置すると外壁が朽ちて1000万円以上の修繕費がかかることが珍しくありません。最悪、人命を失うことにもつながります。

そこで雨漏りを見つけたら、何より先に手を打とう、といった施策を実行しました。

現状を分析し、問題点を把握できたら、体系化して解決ルールをつくる。

そんな「分析」→「解決策の発見」→「実行」の3つのステップを踏む考え方は18年間の県職員時代に培われ、政治家となった今でも私の“改革”の基盤となる考えになっています。

日常の業務にとどまらず、休日は全国の自治体職員らが集まる有志の勉強会に出席し、ゼネコンや設計事務所、霞が関の官僚、JRの開発職の方と熱い議論も交わしました。

行政は、リスクある決断は避け、前例を踏襲しがちです。しかし、外部との新しいつながりを持つことで、自分の自治体の問題は解決に向かう。そんなことを学びました。

ただ、今思えば、家族には負担をかけたかもしれません。

仕事に熱中するあまり、休日も家を留守にする機会も少なくなく、妻にはいくら感謝してもしきれません。

そんな妻とは26歳の時に結婚しました。1993年のことです。

小田原高校の同級生で、卒業後に交際し今年で結婚生活は27年目になります。年に数度ある高校の同窓会も一緒に出ています。

娘と運動会
(娘の運動会での一コマ)

選挙のときはもちろん、日々の政治活動の中でももっとも厳しく、かつ客観的に私にコメントをしてくれるのが妻です。

彼女は、サッカーでいうサポーターのような存在になっています。もちろん、私はプレイヤーです。

大学院進学で学んだ“まちの作り方”

県職員を退職し、県政への挑戦を決意した話は本項後半でお話します。

有権者からよく聞かれることの一つが「守屋さん、なんで大学院に行ったの?」というものです。

その答えを一口で言えば、実際に自治体の都市開発に従事したことで、「より細かく、正しく、深く」理解したいという気持ちが強まったからです。

大学院での研究は、「市街化調整区域の開発の課題」です。

市街化調整区域とは、簡単に言えばどのエリアにどんな建物を建ててよいのか、だめなのかルールによって定まった区域のこと。

そのルールが敷かれてから、40~50年の歴史が経ったいま、逆にそのルールが町の無秩序な調整区域の開発を生んでいるのではないか?という仮説をもって伊勢原市を対象に研究を進めました。

市街化調整区域は、原則として「ここは開発してはいけません」というルールです。ただし、例外的に農家分家住宅やコンビニやガソリンスタンドの出店はOKというルール。

そのルールが敷かれてから、40~50年の歴史が経ったいま、逆にそのルールが町の無秩序な調整区域の開発を生んでいるのではないか?という仮説をもって伊勢原市を対象に研究を進めました。

昭和45年にできたこのルールは、人口増加に伴う宅地化により、無秩序な開発により起こるスプロール現象を懸念してつくられたものでした。

一方、人口減少時代の今は、農村集落の住民を市街地に引っ越しさせるコンパクトシティ化を進めると、もとの集落に空き家が増え、農地も管理できなくなります。

安易なコンパクトシティ化は、かえって国土の荒廃を招くのではないか、という研究です。

この時も、現状とデータを踏まえて冷静に分析し、適切な問題への解決策を提案するという“探究心”が働いていました。

それは、県職員から県議会議員になってからも、貫き続けている私の行動指針だったのです。

次回は、県議会議員時代の仕事と、小田原市政の問題点と改革案をお伝えします。

守屋輝彦の53年--続き

守屋輝彦の53年③神奈川県議会議員~小田原市長選出馬表明

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